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  | HOME | >活動記録>>発言録2014年4月15日 衆議院本会議


地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案に関わる質疑
    

○青木愛

 生活の党の青木愛です。
 私は、生活の党を代表いたしまして、ただいま議題となりました地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案に対して質問をいたします。
 今回の法律改正の端緒は、平成二十三年十月に発生いたしました、滋賀県大津市の中学生がいじめを苦に自殺した事件を契機といたしております。
 このたび政府から提出をされました地教行法改正案は、中教審の答申によるいわゆるA案、B案を受け、その後与党内で修正された後の案だと伺っています。
 この最終的に取りまとめられました政府から提出された改正案に対しまして、かねてより、戦後レジームからの脱却を掲げ、戦後教育の改革の必要性を主張しておられる安倍総理の率直な評価と改正に対する意欲について、今後の審査の冒頭に当たり、まずお伺いをさせていただきます。
 御承知のように、戦前の教育システムは、国定教科書に象徴されるように、文部省が教育内容を統制する中央集権的なものでありました。
この教育システムが日本人を軍国主義に走らせたとして、昭和二十三年に教育委員会法が制定され、各自治体に独立した教育委員会を設置して、教育行政の地方分権を図りました。
 その後、昭和三十一年には、教育委員会の根拠法が、現行の、地方教育行政の組織及び運営に関する法律へと変わり、教育委員会制度は、六十年以上にわたって我が国の地方教育行政の根幹を担う制度として確立されてきました。
 しかし、近年においては、多様化する教育への要望に十分に応え切れていない、教育行政に関する権限と責任の所在が不明確である、審議が形骸化しているなどの課題が指摘をされてきました。
 このような指摘に対しては、平成十三年に、教育における住民自治の強化の観点から、教育委員の中に保護者が含まれるよう努めるなど、教育委員の構成の多様化や、教育委員会会議の原則公開に関する法改正が行われました。
 また、平成十九年には、いじめ自殺事案や高等学校での必修であります世界史の未履修問題などをめぐって、教育行政における責任の所在が議論となり、国や教育委員会の責任の明確化のための法改正が行われました。
 このほかにも、適宜、教育委員会制度の充実という観点から法改正が行われてきました。しかし、再び、大津市のいじめによる自殺事件が起こってしまい、教育委員会の不適切な対応が明るみになりました。
 これまでの一連の法改正について、政府はその効果などについてどのように検証を行っているのか、まずお伺いをいたします。
今回の法改正を行って、これまでの教育委員会と首長の関係を見直し、教育委員長については、教育長との一元化を図ることとされております。先ほど述べてまいりましたこれまでの教育委員会制度の法改正におきましては、教育委員会制度の充実の観点からさまざまな事項について改正されてきましたが、今回のように、首長と教育委員会の関係のあり方にまで踏み込んだ理由と、地方教育行政に対する首長の関与を強化することによって現状の課題がどのように解消されると確信しておられるのか、お伺いをいたします。
 また、今回の法改正によって、地方教育行政への首長の意向の関与が強まることとなりますが、首長は、選挙を経る政治家であります。したがって、これまで教育委員会制度において、その理念、根幹の原則とされてきた政治的中立性、継続性、安定性が損なわれるおそれがありますが、これまでの教育委員会制度を中心とした地方教育行政制度の理念が間違っていたという御判断になるのでしょうか。今後の地方教育行政制度の理念を変えるお考えなのか、お伺いをさせていただきます。
 地方教育行政への首長の関与の強化とともに、今回の法改正では、国、すなわち文部科学大臣による地方公共団体の教育委員会への指示の規定が見直されることとなっています。
 さきにこの規定を創設した平成十九年改正時にも議論されましたように、地方公共団体の自治事務への国の関与は、原則としてするべきではなく、例外としても、最小限なものとするべきとございました。
 この点について、今回の規定の見直しにおいてはどのように考慮をされているのか、お伺いをいたします。
 私たち生活の党は、むしろ、国と地方がお互いに責任を押しつけ合う無責任体制こそが教育問題の根底にあると判断をし、義務教育の最終責任は国が負うよう法制度として明確にすべきと考えてまいりました。それは、教育のかなめである教師が、責任回避のための事なかれ主義に陥ることなく、教育者として、萎縮することなく子供たちの教育に向き合えるよう、特別職の国家公務員としての身分保障を十分にすべきだということを主眼にいたしております。
 そして、教育のカリキュラムは、全国一律ではなく、基礎学力については日本人全体のレベルの維持を中央政府が図るとしても、どのような教育内容にカリキュラムを組むかは、各地域に任せた方がよいと考えております。
 最終的には、権限を地域におろし、各学校が、自主・自律性を持って、保護者や地域住民と協力しつつ、創意工夫を凝らし、地域の文化に根差した、独自性のある教育活動を行っていくことが望ましいと考えます。そのような教育環境から、みずから学び、みずから考える、多様な、そして自立した日本人が育っていくものと考えるからです。
 私たち生活の党は、今後の地方教育行政のあり方として、教育の地方分権化を一層推進し、国は、地方が行う自主的かつ主体的な施策に配慮、支援するべきであり、決して国による地方の教育への関与強化がなされることのないよう主張して、質問を終わります。


○安倍晋三内閣総理大臣

 青木愛議員にお答えをいたします。
 改正案に対する評価と、改正に対する意欲についてお尋ねがありました。
 我が国の地方教育行政制度は、これまで約六十年にわたって政治的中立性等の確保に重要な役割を果たしてきましたが、いじめ等の重大な事案が生じる中で、責任の所在の不明確さ、危機管理能力の不足などの課題が顕在化しております。
 今回の改正案は、政治的中立性、継続性、安定性を確保しつつ、教育行政における責任体制の明確化、迅速な危機管理体制の構築、地域の民意を代表する首長と教育委員会との連携の強化を行うものです。
 今回の改正により、教育委員会制度の抜本的な改革が図られ、安倍内閣の大きな柱である教育再生の基盤が築かれるものと考えております。
残余の質問につきましては、関係大臣から答弁させます。


○下村博文国務大臣

 青木議員から、四つの質問がありました。

 最初に、現行法に関するこれまでの改正の効果の検証についてお尋ねがありました。
 現行法に関し、これまで、平成十三年の改正においては、教育委員に保護者を含めることを努力義務とし、平成十九年の改正においては、重要な事項については教育長に委任できないこととし、合議制の教育委員会がみずから責任を持って管理、執行する、さらには、住民への説明責任を果たすため、みずからの活動状況の点検、評価を行い、その報告書を議会に提出し、公表する、そして、教育委員に保護者を含めることについて義務化するなどの改正が行われたところであります。
 その結果、教育委員会の点検、評価を議会に対して書面で提出するだけでなく、本会議、委員会等で説明または審議している教育委員会が、都道府県、指定都市で五六・七%、市町村で四六%となっており、また、教育委員会会議開催前の事前の資料配付を行っている教育委員会が、都道府県、指定都市で九四%、市町村で六五・二%、教育委員における保護者委員の占める割合が、都道府県で二六・七%、市町村で二九・九%となるなど、教育委員会の審議の活性化等の努力が行われてきているものと承知をしております。

 次に、首長の関与の強化についてお尋ねがありました。
 現在の教育委員会制度については、直接選挙で選ばれる首長との意思疎通、連携に課題があり、地域住民の意向を十分に反映していないという課題があると認識しております。
 こうしたことから、改正案においては、一つは、首長が、現行の教育長と教育委員長を一本化した新教育長を直接任命、罷免する、二つに、首長が招集する総合教育会議を設置する、三つに、首長による大綱の策定を義務化するなどを要件としております。
これらにより、首長と教育委員会が、相互の連携を図りつつ、より一層民意を反映した教育行政を推進していくことを期待しております。

 次に、地方教育行政制度の理念についてお尋ねがありました。
 今回の改正案は、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保しつつ、地方教育行政における責任の明確化、迅速な危機管理体制の構築、首長との連携の強化を図るとともに、地方に対する国の関与の見直しを図るものであります。
 その中で、教育委員会は執行機関として残すとともに、教育委員会の職務権限は変更しないこととしております。あわせて、教育委員の職業等に偏りが生じないよう配慮するとの現行法の規定も維持しており、教育の専門家ではない一般の住民の意向を教育行政に反映していくという、いわゆるレーマンコントロールの考え方を引き続き維持しているところであります。

 次に、地方公共団体の自治事務への国の関与についてお尋ねがありましたが、今回の改正は、大津市における自殺事案の際に、現行規定では、当該自殺した後の再発防止のためには文部科学大臣による指示を発動できないのではないかとの疑義が生じたことから、事件発生後においても、再発防止のための指示ができることを明確化するためのものであります。
 自治事務に関する国の指示は、抑制的に発動すべきものであり、地方公共団体の自主性を前提としつつ、子供の生命身体を保護するために必要がある場合には、最終的に国が責任を果たすことが重要であると考えております。
 以上であります。